一番遠い記憶

生まれてから2、3年、わたしはパパとママと3人で仙台の八木山というところに住んでいた。

その頃の写真がいくつか残っていて、ちっちゃくてムチムチのかわいい赤ちゃん(わたし)がパパに抱っこされたりママにキスされたりおばちゃんににっこり微笑んだりしている。たぶん3人家族でいた間では一番幸せな頃だったんだろうと思う。

八木山時代の最後のほうだと思う。わたしはパパが仕事から帰ってきたら近所のお散歩に連れていってもらうのを毎日楽しみにしていた。というのもコースの一番最後には一銭駄菓子屋(っていうの?)があって、そこで10円とか20円分のお菓子を買ってもらえたから。飴とかなんとか、うんうん言って5分も悩んでやっと選んでいた(らしい)。パパに抱っこしてもらってお菓子を選ぶわたし、それをニッコリ見ている駄菓子やさんのおばちゃん、というイメージをぼんやり覚えている。

ある日、いつものように、坂の下にある駄菓子屋さんに向かって歩いていると、急にオシッコがしたくなった。パパは「我慢できない?」と聞いて、わたしは「できない」とか言ったか首を振った。それでパパは駄菓子やさんの少し手前の道端でわたしを抱えて「シーシー」させた。紙を持ってなくて、パパは自分のハンカチ(濃い茶色に青い刺しゅうが入ってた)でわたしのオシッコをふいた。スッキリしたわたしとホッとしたパパは、そのまま駄菓子屋さんに向かって、おうちに帰った。

それがわたしの一番最初の記憶。今となってはとても遠い記憶。でも案外鮮明に残っている記憶。

あのハンカチは、お父さんはわたしが大人になっても持っていた。たぶんあれでわたしのオシッコをふいたことは覚えてないと思う。わたしはあれを引き出しに見つけるたびに、八木山での幸せな日々を思い出していた。

東急ホテル

私の両親は離婚している。私が小学校低学年の時だった。

小学校一年の夏だったろうか。両親はいつものように四畳半で喧嘩していた。隣の六畳にいた私は、ママが泣きながら廊下を走っていくのをみて、自分も追いかけたが、路地を出てすぐのバス停の手前でパパにつかまった。私はバス待ちの人が見ているのも気にせず(気になったけどそれどころではなかった)大声でママーママーと泣き叫んだけれど、裸足のまま飛び出していったママは、結局それからあの家に住みに帰ってくることはなかった。

私はその後、父と暮らしていた。

小学校二年になって、ママと夏を過ごした。仙台から母の出身地熊本(父も親戚もそうだが)に帰って、親戚の家らしいところにいた。ばあちゃん、親戚のお姉ちゃん、従兄弟数人がいたように思う。この時のことは、ママと一緒にいられて嬉しかったこと以外は、あまりよく覚えていない。

でも数週間して、その時ママの住んでいた横浜へ戻ることになった。というか戻ったこと自体は覚えていないのだけれど、熊本の次の記憶が当時の横浜駅西口の東急ホテルだから、どうにかして戻ったんだろう。

ママと東急ホテルの一階のロビーにいた。ママはずっと泣いていた。ママがなんで泣いているのかわからなかったけれど、一緒に化粧室に入って、ほら、こうすれば大丈夫だよって、おしろいを塗ってあげた。お化粧なんかしたことのない小学二年生が知ったかぶって大人に化粧の仕方を教えるのも変だなと思ったけど、とにかくママを慰めたくて、がんばった。

化粧室を出て、さっきまで座っていた小さなテーブルに二人で戻った。すると、知らないおじさんがやってきた。その人は私を抱きかかえ、ママをテーブルに残して歩き始めた。私は泣き始めた。濃い煉瓦色の絨毯を敷かれたらせん階段を降りて、地下の喫茶店に着くと、パパと親戚のおばさんという人がいた。私はずっと泣いていた、というかたぶん泣き叫んでいた。しばらくして全員で一階に上がっていったけれど、さっきまで座っていたテーブルにも、ロビーのどこにも、ママの姿はなかった。私はママを探して、泣き続けた。

帰りの電車でも泣いた。その頃になると、悲しみというより、怒りが湧いてきていた。帰った先は、さっきのおばさんという人の家だった。プンスカしながらグッタリしている私を不憫に思ったのだろう、その家の人みんなで私の機嫌を治そうといろいろ試みてくれた。ありがたかったけど、何をしてもらってもあんまり効きめはなかった。

それから何年も、ママとは一年に数回休みの間だけ会う取り決めになった。仙台と横浜を、新幹線が出来る前から、何度も列車で往復した。帰りはいつも、ママが私を当時のパパの家に繋がる路地の入り口まで送ってくれて、わたしは後ろを振り返りながら、ママは私を家の中に入るまで見守りながら、二人ともべそをかきながら、別れを惜しんだ。

ママは今でも、子どもの泣き叫ぶ声を聞くと、赤の他人であろうが、胸がキリキリ傷んでいたたまれないのだそうだ。バス停で、東急ホテルで、ママを求めて泣き叫んだ私の声が、別れを惜しんで泣きやむことが出来なかった私の声が重なって、「フラッシュバック」を起こすと言っていた。時には、罪悪感に苛まれて、心が痛くて、がっくりして寝込んでしまうこともあるそうだ。

私もしばらくの間は、あの西口東急ホテルの前を通ると、たとえ遊びに行っていたとしても、無意識に鼻の奥がツーンとするような感覚がした。ずうっと前のことでも、その時泣いて泣き叫んだ記憶が、体の記憶として残っていたのかもしれない。

去年辺り、あのホテル(もう東急エクセルホテルになってたらしいけど。ママが横浜から引っ越してしまってからは行く理由もないのであまり行っていない)が再開発かなんかで閉まるという話を聞いた。調べたら、今年の春には閉まったらしい。

こうやって、時間は過ぎて行って、ビジネスも移りゆき、建物も朽ちては新しいものに変えられていく。それと反対に、私の記憶やママの記憶は、変わることなく、きっとそのまま残っていく。

忘れることはなくても、これが私の生きてきた道、って、素直に受け入れるようになれたら、いいのだと思う。もう崩されるんだろうあの東急ホテルの建物と共に、ママの罪悪感もいつの日か撤去されてくれたら、いい。

one of my fave pics of konalani

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